病気をやめたい患者さんへの心理アプローチでは、“ゆるす”ことが重要なテーマのひとつになります。

病気の背景には、自分や他人に対して何か”ゆるしていないこと”が存在しているからです。

“ゆるす”とは一体何か?

とはいえ、“ゆるす”と言っても人によって微妙にニュアンスが違いますし、「そもそも“ゆるす”とはどんな状態か?」「今まで絶対にゆるせなかったことを、どうしたら“ゆるす”ことができるのか?」と疑問に思う方も多いかもしれません。

“ゆるす”について私なりの定義をお伝えすると、“ゆるす”とは、これまで「悪いもの」と決めていた出来事に対して「感謝できること」を見い出し、「良いも悪いもない。ただ、必要なことが起きていただけ」と気づくことです。

“ゆるす”ことについて、「その出来事や相手に感じたネガティブな感情を我慢する」とか「相手がした行為を正当化する」とか「あきらめる」ことと定義付けている人もいるかもしれませんが、それは私がここでお伝えしようとしている”ゆるす”とは異なります。

例えば、患者さんに対する心理カウンセリングを行っていると、親から虐待された経験があり、許せない想いをずっと持ち続けている方もいらっしゃいます。この時“ゆるす”とは、親に対する怒りを我慢することでもなく、虐待行為を正当化することでもなく、「私が悪かったから虐待を受けたんだ」「この親に生まれたから仕方ないんだ」とあきらめることでもないということです。

“ゆるす”とは態度であり、 “ゆるす”ための目的が必要

ただし、「ゆるすことが良いこと」「ゆるさないことが悪いこと」というように、ゆるすこと自体には良いも悪いもありません。

あなたがゆるせない出来事や相手に対して、怒りを持ち続けることは自由ですし、怒りを抱く自分を責める必要は全くないのです。

ただ、病気を自分で終わらせていく心理アプローチにおいては、ゆるせなかった出来事や相手をゆるしていくことは重要です。“ゆるす”とは手段であり、何かの目的のためにゆるすか、ゆるさないかは自分で決めることができるのです。

まれに「私もこの出来事を、ゆるせるようになるのでしょうか?」と質問される患者さんもいらっしゃいます。しかし、そもそもこの質問が「受け身」の立場から生じていることに気づく必要があります。受け身の立場は、物事を主体的にコントロールする立場を自ら放棄している状態なので、うまくいきません。

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“ゆるす”ことに対して主体的な立場を取ると「私はこういう目的のために、健康な身体が必要です。だから病気をやめるために、この出来事をゆるします」という言葉に変わります。”ゆるす”か”ゆるさないか”は、主体的に決めるものなのです。

その主体的な意志決定のためにも、「なんのために病気をやめるのか?」という目的が必要なのです。

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あなたがこれまでゆるさずにいた出来事が、どんなに悲しく、理不尽で、怒りを覚えることであっても、目的のためにあなたはゆるすことができます。

その出来事をこのままゆるさずにいた場合の10年後の未来と、今、ゆるすと決めた場合の10年後の未来とでは、あなたの未来はどのような違いが生まれているでしょうか?

どちらの未来を選ぶことも、今のあなたの選択で決めることができます。